【就トレ14】閉じた自己分析と開いた自己分析 | ショッピングの人類学

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「【就トレ02】自己分析よさらば」 で、就活でよく使われている自己分析は使いものにならないと書いた。
なぜなら、「分析好き」の学生はともかく、自己分析ができない学生は、そこでつまずいてしまうからだ。
同僚の臨床心理学者・横川氏の言葉をかりると、「自己分析できない自分を発見してしまう」わけだ。

そこで、「【就トレ02】自己分析よさらば」で書いたことを、もう一度くりかえそう。

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根本孝氏は、人々を脅迫神経症的に自己分析へと向かわせる社会的風潮を「自己分析パラノイア(偏執病)」と呼んだ。そして、「自分とは何か、何をしたいにかがみつからない」→「もし自分がみつかったとしても、自分らしい適職がみつからない」→「適職があっても、そのチャンスがない」という三つの悪循環を生み出し、結局、就職しない、就職できない人々を大量に生み出すことにつながるという。
だから、「はじめに自己分析ありき」という脅迫観念から自由になろう。

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では、自己分析がまったく無意味かというとそうではない。
問題はそのやりかただ。

「自己分析」というと、「自己」という語感からか、「ひとりでこっそりとやる分析」というイメージがある。事実、一般に就活で行なわれているのは、「ひとりでこっそり」だ。これを「閉じた自己分析」と呼んでおこう。

しかし、「自分を分析すること」という意味では、なにも「閉じた自己分析」である必要はない。むしろ、「他人の目からみた自分」というものを冷静に考えるならば、友達どうしで「閉じた自己分析」の結果について、コメントしあうことが重要だ。
これを「開いた自己分析」と呼んでおこう。

開いた自己分析の方法については、いずれ紹介するが、大事なのは、自己分析を「閉じた自己分析」から「開いた自己分析」に切りかえるということだ。

参考:ソフトウェア開発に学ぶ「自分ヴァージョンアップ術」