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ショッピングの人類学

モノを買い、コトを楽しむ人間の生態を観察する、ショッピング人類学のブログ

habanero暴君ハバネロがついにゲームになった。
パルボックスの「パーティスナックゲーム」シリーズのひとつとして、「激・激(ゲキゲキ)暴君ハバネロ」が登場。

ゲームの内容は、
「ハバネロの口の中にリングを順番に入れていきます!うまく入れていかないと グルッ!!っとハバネロが暴れだすビックリアクションゲーム!」

他にも、「ポッキーショック」「コアラのマーチでフラフラ」ドキドキキャラメルコーン」などがある。

暴君ハバネロ増殖中!
最近、日記がちょっとしたブームだ。

そもそも、日記をつけることが大衆化したのは、明治28年に博文館が「懐中日記」を発売してからだといわれる。
人間の行動は、モノとの関係で考えなければならない。日記の場合も、紙質がよく、鉛筆もついているという「懐中日記」がでたことで、「日記をつける」という行動が広まった。

では、最近の日記ブームはというと、やはりブログという仕掛けの役割が大きい。
日経ビジネスアソシエの4月5日号でも、「日記&ブログ術」という特集を組んでいる。
日記にしてもブログにしても、自分を見つめなおし、そこから何かを発見していくのに役立つ。

ところが、最近はもうひとつの要素が加わった。
エンターテイメントとしての日記だ。
アメブロから生まれた『実録鬼嫁日記』などは、その代表。

ブログが、日記をエンターテイメントにした功績は大きい。

『ダカーポ』558号(4月20日号)によると、ウェブ上の日記で依存症を治療しようというプログラムがあるらしい。

「パチンコ・パチスロ依存症を予防するためのホームページ」だ。

これは、東京都遊技業協同組合(都遊協)が、早稲田大学理工学部・加藤諦三研究室と共同で開発したもの。サイト内の「メンタフ・ダイアリー」では、個人の悩みが日記に書かれている。この日記に効果があるらしい。

ということは、ブログをやっているわれわれは、精神的に健全ということか?
しかし、「ブログ依存症」なんていうのが出てきたら、もうそれはしかたがない。
LPレコードからCDにかわったとき、何が変わったか。
何よりも、ジャケットデザインという分野が変化した。
30センチのLP時代には、ジャケットデザインに絶大な存在感があった。

このH.R.ギーガーがデザインした、プログレッシブロックの巨人、EL&Pの『恐怖の頭脳改革』(Brain Salad Surgery)などは、記憶に残る一枚。
ギーガーといえば、映画『エイリアン』のデザインで有名だが、それ以前にも、すばらしいジャケットデザインをいくつも発表している。
ギーガーとともに、記憶に残っているのがデザイン集団「ヒプノシス」だ。
Led ZeppelinやPink Floydのジャケットデザインを多く手がけている。
個人的には、このピンク・フロイドの『アニマルズ』が印象深い。
イギリス・ロンドンにいったとき、たしか中心部からガトウィック空港に向かう列車の左手に、この発電所がみえた。涙が出そうになったのをおぼえている。
mach55さんによると、ヒプノシスは、ユーミンの『昨晩お会いしましょう』のジャケットも手がけているという。知らなかった。
なおmach55さんは、復刊ドットコムで、「アートワークス・オブ・ヒプノシス」の復刊運動をされている。
私も投票しました。みんな投票しよう!
keyドヴォラック(DVORAK)とクワーティ(QUERTY)をへて、このたび、New Standard Keyboardが登場。
ジョン・パーキンソン氏が開発した、新しいキーボード配列だ。しかもカラフル。

この配列、変わっているのは、アルファベット順のキー配列で、AからMまでが中央から左に、その他のキーは右に配列されていること。そして、中央にカーソルキーがあり、ファンクションキーはキーボードの下にある。

このキーボード、どこまでシェアの伸ばせるのか?
わが大学でも、昨日入学式があった。
だが、今年はちょっと違っている。管理職の教授連が、試行的に、アカデミックガウンを着用することになった。そう、あの角帽にガウン姿という、欧米の大学では、ほぼあたりまえの衣装だ。

「だめだめ新newシャイン!」によると、某工業大学(東京工業大学のことだが)では、本年度から卒業式でアカデミックガウンを着用することを奨励するようになったらしい。→こちらを。
着物の着付けほどではないが、アカデミックガウンの着方にも、いろいろきまりがあるらしい。くわしくは、東京大学の「式典でのガウン着用について」を。

かくいう私も、今回、アカデミックガウンを着用することになった。
大学・大学院は西洋かぶれしたバタくさい大学だったが、不思議にアカデミックガウンの習慣はなかった。だから、事務局の方に着方を教わる始末。

着てみると、レオナルド・ダヴィンチみたい。
なぜなら、角帽じゃなくて、八角帽だったから。最初は角帽をイメージしてたんだが・・・

今回、ガウン着用の企画がもちあがってわかったのだが、やはり、この習慣、日本ではまだま普及していない。ガウンをレンタルする業者もあるが、1着1万円程度。注文すれば、もちろんもっと高い。

そこで妙案。
国立フィリピン大学出身の教員がいて、フィリピン大学でもアカデミックガウンは定着しているとのこと。フィリピンで注文するとかなり格安だというので、即断。

さて、アカデミックガウンを着てみると、う~ん、なかなかいい。
ささやかな変身も楽しいじゃないか。
あっ、写真とるの忘れた!

dollerしばらく、日本を離れていたので、すっかりブログを留守にしてしまった。
帰国の飛行機のなか、機内誌に気になるものを発見。

米国1ドル紙幣未裁断シート(本体価格¥29,800)

なんでも、「お金と縁が切れずに、つながりを保てる」という意味から、アメリカでは、カジノ、ホテル、飲食店などに、日本の招き猫と同じ感覚で飾られているとのこと。
米国造幣局発行の説明書付で、切り離せば使用可能。
しかし待て。普通なら、32枚のシートで32ドル。それが三万円とは・・・
レアものだから仕方がないか。

「お金と縁が切れず・・・」というは、いかにも日本人が好きそうな由来だ。
どうせなら、「お金と円(縁)が切れず・・・」ということで、未裁断の千円紙幣シートがあればいいのに。

「アタマがはたらく=知恵がある=創造力がある」自分を鍛えるにはどうしたらいいのか?

創造力をきたえるためのノウハウ本は、数え切れないほど出ている。そんなものを、いちいち読んでいるわけにはいかない。そこで、創造力を鍛えるノウハウを最小限に圧縮すると、こうなる。

ものごとを、とにかく「むすびつける」(=関連づけて考える)、そして、それを別のものにも当てはめる(=範囲を広げて考える)。
ひとことでいえば、「むすんでひらいて」ということだ。


一見、関係ないようなことがらでも、何かつながりはないかと考えてみる。
強引でもなんでもいい。とにかくつながりがみえたら、こんどは、それを何かに応用できないか考えてみる。
こんなトレーニングの繰り返しが、創造力を生むのだ。
私は、枕の下に、アラームがわりに携帯電話をしいて寝ている。アラームといっても、着信音を鳴らすのではなく、マナーモードにしている。着信音よりも振動があるほうが、私にとっては置きやすい。

こんな私のやりかたが、すでに商品化されていた。しかも2年前に。 ニチオー工業「クイックぴろー」だ。
枕に目覚まし時計が組み込まれていて、振動で起こしてくれる。

商品も面白いが、「クイックぴろーモニターの声」というのが、いかにもニチオー工業の方が、知恵をしぼって「それらしく」書かれた形跡があり、楽しめる。
「開発秘話」というところに載せられているが、まさに「モニターの声を開発した」努力のあとがみる。

たとえば、「輸出の仕事をしていると、夜中のロンドン市場が気になって・・・だからといって目覚まし時計で起きちャーネ」とかね。
「【就トレ02】自己分析よさらば」 で、就活でよく使われている自己分析は使いものにならないと書いた。
なぜなら、「分析好き」の学生はともかく、自己分析ができない学生は、そこでつまずいてしまうからだ。
同僚の臨床心理学者・横川氏の言葉をかりると、「自己分析できない自分を発見してしまう」わけだ。

そこで、「【就トレ02】自己分析よさらば」で書いたことを、もう一度くりかえそう。

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根本孝氏は、人々を脅迫神経症的に自己分析へと向かわせる社会的風潮を「自己分析パラノイア(偏執病)」と呼んだ。そして、「自分とは何か、何をしたいにかがみつからない」→「もし自分がみつかったとしても、自分らしい適職がみつからない」→「適職があっても、そのチャンスがない」という三つの悪循環を生み出し、結局、就職しない、就職できない人々を大量に生み出すことにつながるという。
だから、「はじめに自己分析ありき」という脅迫観念から自由になろう。

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では、自己分析がまったく無意味かというとそうではない。
問題はそのやりかただ。

「自己分析」というと、「自己」という語感からか、「ひとりでこっそりとやる分析」というイメージがある。事実、一般に就活で行なわれているのは、「ひとりでこっそり」だ。これを「閉じた自己分析」と呼んでおこう。

しかし、「自分を分析すること」という意味では、なにも「閉じた自己分析」である必要はない。むしろ、「他人の目からみた自分」というものを冷静に考えるならば、友達どうしで「閉じた自己分析」の結果について、コメントしあうことが重要だ。
これを「開いた自己分析」と呼んでおこう。

開いた自己分析の方法については、いずれ紹介するが、大事なのは、自己分析を「閉じた自己分析」から「開いた自己分析」に切りかえるということだ。

参考:ソフトウェア開発に学ぶ「自分ヴァージョンアップ術」